会社沿革

徳島県・上板町にある鋳物屋としての成り立ち

 仁平時代、七右衛門という鋳物師(いもじ)が、日夜鋳物を造っていました。ある日、過去最高の良質な鋳燈篭が出来あがり早速朝廷へ献上した所、その技術が認められ当地は鋳物師村として発展していったといわれております。

 その時代から約950年。鋳物師村として名をあげたここ徳島県上板町高瀬では今も天目一神社という鋳物師縁の神社や、ふいご祭りという伝統行事が残り受け継がれております。弊社はそんな昔から鋳物産業が栄えていた土地柄にあります。

(写真は上板町・高瀬橋)

鋳物工場としての歩み

18**年山砂による手込造型
1972年F1モールディングマシン4台とキューポラにて創業
1991年富士電機社製高周波誘導炉500kg/300kw導入
1993年東久社製AMF-04型造型機導入(2006年まで稼動)
2003年東久社製AMF-055型造型機導入
2006年東久社製AMF-VII04R型造型機導入
2014年法人成りし「株式会社平田鋳造」を設立、平田実が社長就任
2015年新東工業社製FBOX-Ⅱ造型機導入
2020年創業者・平田実が会長職へ、平田一郎が社長就任
2024年型倉庫を新築

1972年以前の歴史

 平田鋳造は現会長が創業前から徳島県の鋳物工場として存在しています。明治以前より鋳物を造っていた事が『徳島県鋳造工場年表』で確認されています。現会長が四代目、現社長が五代目の鋳物師の家系となります。

 初代は文政生まれの「平田鐡三郎」。嘉永に創業したと聞き伝えられています。二代目は明治生まれの「平田久五郎」。明治中期に鋳物師として従事していました。三代目は同じく明治生まれの「平田健一」。昭和初期に鋳物師として従事しました。四代目は昭和生まれの「平田実」。現会長です。五代目は令和に代表就任した「平田一郎」。現社長です。

 三代目までは農業と鋳物師の兼業でしたが、四代目・実の代から工程も機械化し、本格的な創業であると位置付けています。鋳物の神様を祀っている天目一神社の「御由緒」という鋳物師の聞き取り資料には二代目・平田久五郎の名前も記されています。

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